こんにちは、Dr.アシュアです。
今回は2020/10/5から週刊スピリッツで連載されているマンガ「プラタナスの実」の第21話を、現役小児科医が考察・解説してみたいと思います。
「プラタナスの実」はドラマ化もされ人気を博した「テセウスの船」の原作者、東元俊哉先生の新連載の漫画で、小児科医療をテーマとして描かれている漫画です。
漫画の情報については公式HPをご覧ください。
原作者の東元先生にも企画についてご許可頂いておりまして「プラタナスの実 考察・解説ブログ~非公式だけど公認~」ということで、がんばって考察・解説していきます。
第1~2集も発売され好評のようです!
前回は、足を引きずる5歳の女の子「莉乃ちゃん」の病気がもやもや病と言うことが分かりました。主人公の兄・鈴懸英樹先生は、祖母に必要な情報を淡々と伝え、転院が必要であることを話します。少し冷たい印象でしたね。
祖母は、自分が良かれと思って孫「莉乃ちゃん」に買いあたえた鍵盤ハーモニカが、下肢の麻痺の一因になっていたことに大きなショックを受け、泣き崩れてしまいます。
そんな祖母の様子をみた主人公・鈴懸真心先生は、兄・鈴懸英樹先生に「駅で出会った時に声をかけていたら、患者と家族がすぐに治療を受けられる病院に搬送できた。余計な心配をかけることはなかった」と言い、非難するのでした。
今回のお話では、不安定になってしまった祖母に、鈴懸真心先生が関わっていきそうな感じです。
それでは、見ていきましょう。
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目次
第21話のあらすじとDr.アシュア的に気になったことについて
祖母は、孫の「莉乃ちゃん」に、これから他の病院で治療を受けないといけないことを伝え、鍵盤ハーモニカを吹くと足が動かなくなるからしばらくは鍵盤ハーモニカはお休みであることを伝えます。
ショックをうけた莉乃ちゃんは、鍵盤ハーモニカが無い事に気が付き、泣いてしまいます。
しかし祖母の手には鍵盤ハーモニカはありません。どうやら祖母は、鍵盤ハーモニカを病院に捨てていくつもりのようです。
そこへ、鈴懸真心先生が現れます。その手には捨てられたはずの鍵盤ハーモニカが握られていました。
真心先生は、「脳の病気と聞いて心配していると思いますが、画像を見たところでは大きな脳梗塞・脳出血はありません。内科治療も選択肢になるかもしれませんし、とりあえずは安心していいですよ。大丈夫!」と祖母に優しく声をかけます。
泣いていた莉乃ちゃんも、失くしたと思っていた大好きな鍵盤ハーモニカが戻ってきて泣き止み、こう聞くのでした。
「鍵盤ハーモニカは練習しちゃダメなんでしょ?」
真心先生は、専門のお医者さんが許可するまではダメだと思う、と前置きした上で、こう答えます。
「でもね、莉乃ちゃんが息を吹けなくても、おばあちゃんが吹けば演奏できるよね。困った時は、力を合わせればいいよね。」
それを聞いた莉乃ちゃんと祖母には、また笑顔が戻ってくるのでした。
その様子を少し離れたところで見ていた鈴懸真心先生の兄・英樹先生は、不満のある表情を浮かべていました。
今度は英樹先生が、真心先生を非難します。
「俺たち医師は常に最悪な状況を想定しなければいけない。あの患者が今後どうなるかはまだ分からないのに、大丈夫などと声をかけるのは無責任だ」
真心先生は、反論します。「俺はそんな難しい事は考えていない、大丈夫で患者さんの救いになるならそれでいいだろう」
東元俊哉「プラタナスの実~小児科医療チャンネル~」第21話より
鍵盤ハーモニカ、、、、そう使うのか~~~~、真心先生!惚れてまうやろ~!
今回も、前回の続きで、兄弟の主義の違いが現れたお話でしたね。
「大丈夫なんて無責任な言葉を簡単に使うな、医師は不確定なことをいうもんじゃない」という立場の兄・英樹先生と、
「患者さんの救いになるなら多少不確定な状況でも、やさしい声かけはしていいでしょ」という立場の主人公・真心先生。
医師も人ですから、色々な考え方の人がいますが…。
私、Dr.アシュアが働く市立病院は三次医療も担当しているので、お子さんがすごくひどい状態(亡くなってしまいそう、今後亡くなることが予測される状態)で救急車で搬送されてきて、両親にかなり厳しい話をしなければいけない場面があります。
そう言う時、どう話すのか・どこまで話すべきか・どんな言葉を使うのかは、本当に担当する医師によって様々です。
そこには、その小児科医の信念や矜持…、そして人となりというものが如実に表れると思います。
さて、今回も前回と同様に真心先生と英樹先生の主張を整理していきますが、それに加えてバッドニュースを家族に伝えなければいけない時にDr.アシュアが気を付けていることにも少し触れたいと思います。
真心先生・英樹先生のそれぞれの主張を整理
前のお話とは逆で、今回は兄・英樹先生が、真心先生の行動に対してイチャモンをつけましたね~。
2人の医療に対する姿勢を整理して行きましょう。まず兄・鈴懸英樹先生から。
兄・鈴懸英樹先生の主張
重病の患者で、今後どうなるか分からない状況下の場合は、不確定に「大丈夫」と声をかけるのは医師として無責任である。
う~ん・・・、正論って感じですね。
次に、主人公 鈴懸真心先生の主張です。
主人公・鈴懸真心先生の主張
重症の患者で、今後どうなるか分からない状況下でも、心のケアは重要。ある程度の予測に基づいていれば「大丈夫」と声をかけてもよい。
兄・英樹先生は、真心先生に”無責任”と言っていましたが、真心先生は、自分でMRI・MRAを評価した上で予測に基づいて患者さん・祖母を励ましていましたよね。
真心先生の理論の流れを見ると、
・画像検査を見る限り、今はひどい脳梗塞、脳出血はない
・だから病気は初期の状態だと思われる
・その場合は外科手術ではなくて内科治療の手段もあり得る
という流れで「大丈夫」と判断していましたね。
さて、今回の兄弟の意見、どちらが正しいのでしょうか。。
非専門家が専門家領域の病気の経過に関して物申す時には、相当な覚悟がいる
真心先生のとった行動、それに反論した兄・英樹先生、どちらが正しいのか…。
これは、今回の病気が「もやもや病」といって、小児脳神経外科医が専門とする病気であり、小児科(主人公の真心先生)、小児外科(兄・英樹先生)のどちらも非専門家になるという所が、かなり、、、かなり重要なポイントです。
結論から申し上げますと、今回のケースは英樹先生の行動の方が正しい、と思いました。
今回、もやもや病という「小児脳神経外科医が専門とする疾患」の治療方針に対して真心先生が「脳の専門でないけど、一応はそれなりの知識はあります」と前置いた上で、前述の判断を下しています。
しかし、専門外の病気の経過について、非専門家が物申すのは、相当な覚悟がいるというのがDr.アシュアの見解です。
まず知識量ですが、熱心に勉強すればこれは専門家に引けを取らないレベルになることは可能でしょう。
しかし経験に関しては、これはどうあがいても専門家には敵いません。
知識はお金を払って本を買ったり、ガイドラインを読んだりすれば手に入りますが、経験は時間を払うことでしか手に入れることは出来ません。小児科医は逆立ちしても小児脳神経外科医の様に手術はできませんし、術後の外来フォローをしたりすることは真似事は出来ても、主治医にはなれません。もやもや病に関しては悲しいかな対価の時間を払うことすらできません。
もやもや病の軽い症例から、重症で困りに困った症例まで経験して、酸いも甘いも噛み分けたのが専門家だとDr.アシュアとしては思うのです。その経験のものさしがある中で、あなたの病状は軽い部類に入りますよという判断ができるわけですから、やはり一介の小児科医が軽く治療方針について口に出していいものではないと思います。
・・・しかも、2018年に発行されている「もやもや病の診断・治療ガイドライン」には
虚血発症のもやもや病では、再発予防を目的として外科治療の適応がまず検討されるべきである。
もやもや病(ウイリス動脈輪閉塞症)診断・治療ガイドライン(改訂版)より引用
と明確に記載があります。原文はこちらを参照下さい。
2018年度版なので2021年現在ではおそらく最新の知見と思われ、今回のケースに限って言えば、真心先生の発言には間違いが含まれているように感じました。
兄・英樹先生のように、今後の病状が分からない現状で無責任なことは言えないというのは、専門家ではないから無責任なことは言えないという「思考停止」のように見えて一般の方々には冷たく映るのかもしれませんが、今回のように結果的に「嘘」を言ってしまう結果になる恐れがある状況ではやはり適当な事は言えませんよね。。。
真心先生のように、自分なりの判断を添えて「大丈夫」と声をかけてあげたい欲望にかられるのは…とてもわかるのですが、せめて非専門家なら、ガイドラインくらいは参照して、それを根拠にした上で患者さんには情報提供したいとDr.アシュア的には思うのです。
重い病気を抱える子どもと家族に病状説明をするときにDr.アシュアが心がけていること
少しプラタナスの実のお話とはズレますが、今回は、重い病気を抱えるお子さんと家族に病状説明をするときに、私が心がけていることについて、少し書いてみようと思います。
まず「孫が難病のもやもや病である」というような悪い知らせ=バッドニュースを家族に伝えるというのは、一般の方々からしたらつらい仕事に映るかもしれません。
悪い知らせを聞いた家族が悲しむのは明らかですし、その姿を見るのはもちろん医者もつらいわけで、医者の仕事の中でもたしかに精神的にきつい仕事だと思います。
私も10年以上三次医療を担う病院で小児科医をしてきたので、今まで沢山のバッドニュースを伝えてきました。
新米の頃も今でも、不幸にも重い病状に陥るお子さんは存在し、それを受け止める親・家族がいます。病気が治る方向に向かわず最終的に亡くなるお子さんも、必ずいます。
そう言う時の病状説明は小児科医的にも相当メンタルを削られます。頑張って医療を続けているけれど、患者さんの病状はどうにも悪く、検査をすればするだけ悪い情報が出てくる…。それを、毎日毎日ご両親に話をするんですね。いい情報がないわけですから、いくら前向きな話をしようと思っても、なかなかそれが難しい。終始辛い話になってしまう訳です。
ちょうど自分が小児科医1年目の時、そんな患者さんの主治医になり毎日毎日病状説明をしていました。
両親の心も病んでいくわけですが、主治医をしている自分もだんだん精神が弱ってくるのが分かるんですね。ドラマのような奇跡は起こらず、近い将来確実にこの子は亡くなるだろう、それを感じながら毎日診療を続けていく、続けかなければいけない。逃げ出したくなる気持ちにフタをしながら、何とか自分を奮い立たせて毎日病院に向かっていたのをよく覚えています。
そんな時、自分に先輩がかけてくれた言葉を今でもよく覚えています。
まだ経験の浅い小児科医だった自分は、家族と一緒にお子さんの病状を悲しむばかりでしたが、先輩医師は少し先の視点に立って、コントロールできないこと(お子さんの病状が悪くなっていくこと)と、コントロールできること(お子さんの体を拭いたり、触れたり、写真を撮ったり、抱っこしたり)を分けて、「家族に今まだできることに気付かせる」ことに尽力していたんですね。
お子さんの病状に大きな悲嘆を抱えていたご両親も、できること・してあげられることがあるという事実に気付かされた以後は、悲しみに暮れるだけではない過ごし方をされるようになり、主治医との関係性もより良くなったと記憶しています。
この経験は、自分の小児科医の診療スタンスに影響を与えた大きな出来事の一つです。
今も、重い病状の患者さんの病状説明をするときには、伝えなければいけない事実=バッドニュースはしっかり伝えるけれど、最後に「家族が今してあげられること」「家族に今してあげて欲しいこと」について必ず言葉をかけて話を終えるように、心がけるようにしています。
最後に
今回は、ストーリー解説+主人公 真心先生 vs 兄・英樹先生 第二ラウンド「非専門領域の病気の治療方針について、非専門家が家族に情報提供するか」について考え、重い病気を抱える子どもと家族に病状説明するときに私が心がけていることに触れてみました。
Dr.アシュア的には「非専門家が情報提供するなら、できるだけ情報のソースが明らかにした上で話をする」というのが正解かな、と思うのですが、上でも書いたようにそれでもかなり覚悟がいることで、一般的には「今後の病状のことについては、転院先の専門医の先生に聞いていただくのがよいです」という形になるのかなぁ、と思います。
いずれにしても、主人公真心先生と兄・英樹先生は、なかなか相いれない状況のようですねぇ。小児科医・小児外科医は本来協力しながらお子さんの診療に当たるべきなので、好ましい状況ではありませんよね。。何らかの事故が起きなければよいのですが、、。
今後のお話にも注目していきたいです。
追記
2021年1月29日にプラタナスの実 1巻・2巻が発売になりました。小児科医療のリアルな現場を切り取った漫画だと思います。
色々な方が手に取って頂けたら嬉しいですね。