こんにちは、Dr.アシュアです。
今回は2020/10/5から週刊スピリッツで連載されているマンガ「プラタナスの実」の第28・29話を、現役小児科医が考察・解説してみたいと思います。
「プラタナスの実」はドラマ化もされ人気を博した「テセウスの船」の原作者、東元俊哉先生の新連載の漫画で、小児科医療をテーマとして描かれている漫画です。
漫画の情報については公式HPをご覧ください。
原作者の東元先生にも企画についてご許可頂いておりまして「プラタナスの実 考察・解説ブログ~非公式だけど公認~」ということで、がんばって考察・解説していきます。
第1~2集も発売され好評のようです!
前回のお話では、急性骨髄性白血病の天才ピアニスト”ともりん”が無断で病院を抜け出して体調を崩し、好中球減少性腸炎にかかってしまいました。好中球が減少している状態では、抗菌薬の効果も十分発揮されないでしょうし、手術するにしてもさらに感染症を引き起こしたり傷が上手くくっつかなかったりするリスクが高い・・・。ともりんは今、とても危険な状態と言ってよいでしょう。
主人公の鈴懸真心先生(小児科医)、兄の鈴懸英樹先生(小児外科医)は、果たしてプロとしてしがらみを越えて協力し、この重大な局面を乗り越えることが出来るのでしょうか。
それでは、見ていきましょう。
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目次
第28・29話のあらすじとDr.アシュア的に気になったことについて
急性骨髄性白血病で闘病中の天才ピアニスト”ともりん”こと木田朋美は、好中球減少性腸炎にかかってしまいました。
急遽病院に駆け付けた両親は、真心先生から病状説明を受けることになります。
闘病中のともりんが、化学療法の副作用の好中球減少症を認めていたこと、そういった時に発熱・腹痛を認めた場合、好中球減少性腸炎を疑わねばならないとのことでした。さらに、腸に穴が開いてしまう可能性がありその場合手術になるとのことですが、手術には様々なリスクがあるため、抗菌薬の投与で回復を待つしか方法がないとのことなのでした。それを聞き、泣き崩れる両親…。
場面は、ともりんの治療方針を共有するための会議(カンファレンス)に。主治医の真心先生は、関連する医師・コメディカルの人達に彼女の病状を詳しく説明し、「自分が昔担当した白血病の患者が同じ好中球減少性腸炎にかかった時は抗菌薬投与で回復に至った経験がある。今回もこのまま抗菌薬で様子を見るほうが良いと思う」と自らの方針を示します。同意する小児外科医・八柳先生と、センター長・吾郎先生。
吾郎先生は、英樹先生にも意見を求めます。「今の段階では、抗菌薬での治療しかないでしょう。」と英樹先生。
安心するような空気が一瞬流れるが、それを裂くように英樹先生は続けます。
「ただし…我々医師は常に最悪の事態を想定しなければいけない。思ってもないことが起こるというのはあり得ない、それが起こってしまったときには、想定が甘すぎたと言うことになる」
そして英樹先生は真心先生に言います。
「家族ごっこもいいが…普段から緊張感が無さ過ぎるからああいう事につながるんだ。のんきに保存的治療で見てても仕方ない。外科医として断言するが、俺は何時手術する時が来てもおかしくないと思ってる」
カンファレンス終了後…残った医師・コメディカルたちは英樹先生の噂話をしています。「英樹先生は、患者さんには評判悪い。周りのスタッフもやりづらいってクレームがでている」・・・・不穏な空気を感じ取ったセンター長・吾郎先生は言います。「考え方が違っていても、患者さんを救いたいという医師の心は全員同じ。一体感を持って仕事に集中しましょう」
場面は変わり、真心先生は母親の墓参りに来ていました。母の墓前で手を合わせながら、兄・英樹先生に言われた言葉を振り返り、今までの自分の患者との向き合い方を思い返していました。
(自分が今までやってきた医療や患者さんとの向き合い方に間違いがなかったとは言い切れない。自分をどこまで信じて…兄ちゃんをどこまで信じるべきなんだろう…)
今までの自分の小児医療への取り組み方に"ゆらぎ"を感じていた真心先生…。帰ろうとしたとき母の墓石になんと「聴診器」が添えてあることを見つけます。手に取ってみる真心先生・・・聴診器の膜型の部分に” H . S ”と書いてあるイニシャルを見つけます。
場面は再び病院に。センター長・吾郎先生は偶然、カンファレンス室でともりんの腹部CTの画像を真剣にみる英樹先生を見かけます。「この患者さんが気になるのか」と声をかける吾郎先生に対し、英樹先生は驚きの事実を伝えます。
「自分はこれまでに同じ好中球減少性腸炎の患者の手術をしたことがある。しかし、手術を決断するまでに時間がかかったせいで、患者さんを死なせてしまった。もう二度と同じミスを繰り返すわけにはいかない。」
東元俊哉「プラタナスの実~小児科医療チャンネル~」第28・29話より
うーん…前の自分のブログで書いていた通りの非常にシビアな展開になってきましたね。。
好中球減少性腸炎については現状抗菌薬投与で経過を見る他はない。ただし、手術になる可能性があると。。。
しかし、カンファレンスでの英樹先生の真心先生への言い方は、ちょっとトンチンカンな感じでビックリしました。
さすがに英樹先生理論→「真心先生が患者さんと仲良くしていたから、患者さんが無断で外出するような事態になった」というのは飛躍しすぎです(真心先生が無断外出を手引きしたわけではないですし)。
真心先生へのイチャモンはさておき、英樹先生の「最悪を想定するだけではなく、最悪が起こった時どうするかをしっかり共有しておく」という姿勢については激しく同意ですね。。。
手術にならないように保存的治療をするという考えは悪くないですけど、上手くいかなかった時にどうするかということを考えていない=思考停止という点では片手落ちです。
いつ何時手術せざるを得ない時がきてもおかしくない。その時はこうしよう、という考えで準備しておく方が、治療方針を決定する主治医としては能力が高いと感じました。
今回は、お話の中から二つのポイントを考察してみたいと思います。
1つ目は、真心先生の母の墓前に供えてあった聴診器は誰のものなのか、なぜ聴診器を供えていったのか
2つ目は、英樹先生が言った言葉、「準備をしなければ。想定を共有しなければ。」について
この2点について少し深掘りしてみようと思います。
真心先生の母の墓前に供えてあった聴診器は誰のものなのか、なぜ聴診器を供えていったのか
これはもはや言うまでもないかもしれませんが、イニシャルがH.Sと言えば、Hideki Suzukake→鈴懸英樹先生のことで間違いないです。
27話の最後のページで、英樹先生が母の墓参りの後で聴診器を供えていった様子が描かれていましたし。
ではなぜ聴診器を供えていったのでしょうか。。。
その答えを推察する上で、”お墓参りはどういう感情で行うのか”ということを考えてみると良いと思います。
今はコロナ禍なのでDr.アシュアも実家に2年帰っておらず、実家のお墓参りも久しく行けておりませんが、私がお墓参りをするときは、手を合わせながらその人のことを心に思い出して、色々なことを報告したり、お願いしたり、約束したりすることが多いです。
英樹先生も自身の母親の墓参りをしながら、母と会話したことを思い出していましたよね。
かつて母から「そんな医師になりたいの?」と聞かれてまだ医学生だった英樹先生は「分かりません」と答えていたことを思い出し、英樹先生は「俺はどんな医師になった?」と自問自答していました。
真心先生が患者や家族の心に寄り添う姿を思い出して、あんなのただの家族ごっこじゃないかと結論付け、「俺はこの道を行く。この道でももっともっと患者を救ってみせる」と決意を新たに、聴診器を墓前に供えて去った…、そんな構図でした。
Dr.アシュアが推測するに、聴診器は、墓前に”供えられた”のではなく、”置いていかれた”のだと思います。
聴診器はいわば医師の象徴の一つです。
小児外科医・外科医の象徴が手術道具のメスとするならば、聴診器は”小児科医・内科医の象徴”と言ってもいいかもしれません。
英樹先生は小児外科医なので「聴診器を置いていく」という行為は、「自分の中の小児科医的な部分を捨てる」という隠喩(メタファー)のように感じます。
しかも英樹先生は、聴診器を供える前に弟の主人公・真心先生の患者・家族に対する姿勢を否定するようなことを(心の中で)言っていたので、「弟のような患者・家族の心も救う医師ではなく、患者の病気を治し救うことにだけ尽力する医師になる」という誓いも含められているのではないかと思います。
さらに、英樹先生が真心先生のスタンスをひどく否定的にとらえているのは、彼の深層心理に真心先生の医師像を望ましいと思ったり羨むような心情が隠されているからではないでしょうか。そもそも何にも思ってなければ、普通あそこまで否定しないですよね。
おそらく英樹先生は、真心先生の姿に母の姿を重ね、自分はそういう医師にはなれない、という失望や諦めの心があり、それ故真心先生にきつく当たってしまうのではないでしょうか。
そして、その反動も手伝って「弟のような患者・家族の心も救う医師ではなく、患者の病気を治し救うことにだけ尽力する医師になる」という誓いにつながっているのではないかな、と思いました。
「準備をしなければ。想定を共有しなければ。」について
次に英樹先生が言った「準備をしなければ。想定を共有しなければ。」という言葉について少し深掘りしたいと思います。
自分も10年以上小児科医をやってきたので、なんどかいわゆる修羅場を経験してきましたが、、それ故にこの言葉は深いと思います。
医療はチームなので、何か緊急事態が起きたときに医者を含む医療スタッフがみんな思い思いの動きをしていては、チームとしては最大の結果(患者さんの救命)を果せないことがあります。
誰か(だいたい主治医)がその場のリーダーになって、即座に場を整理して適材適所に人材を割り振り「やるべきことを、それができる人に任し、しかるべき時に行う」という状況を作りだすことが必要です。そしてその後は、リーダーに全ての情報を集約しつつも医療チームの皆が全体の流れを共有して、全体で最大の結果を出せる方向へ向かっていく…というのが理想的です。
英樹先生は、好中球減少性腸炎にかかった”ともりん”の経過に対して、平時からの方針だけではなく、緊急時つまり緊急手術が必要になった時の治療方針・役割分担などを関係する医療スタッフで相談し、共有しておくべきと提案しています。
しかし、ここで言う「想定の共有」は、非常時の治療方針・役割分担だけにとどまらず、どれだけその非常事態が起こる可能性が高いのかという”見立て”の部分についても共有すべしという意味ではないか、とDr.アシュアは推測しました。
この「どれだけまさかの時が起こり得るのか」という”見立て”の部分を一緒に共有しておくことは、実はとても意味があります。
医療者ですら、緊急事態は緊急事態、まさか”自分には”そんなことにはならないだろう、と考えてしまうことは良くあり、これを「正常性バイアス」と言います。
正常性バイアスは、社会心理学や災害心理学でも使われます。皆さんも、何らかの災害に巻き込まれたときに「自分だけはなんとかなる」「そんなに最悪なことは自分には起こらないはずだ」という考えが働いて逃げ遅れる人がでるという話、聞いたことがあるのではないでしょうか。
人間には、異常な状況に陥った時にパニックにならないように、このように都合の良いように解釈して心理的なストレスを回避するという心の動きがあるんですね。それで災害に巻き込まれたり、非常事態が発生した時にすぐに動けないというのは本末転倒という気もしますが・・・。
ですから、医療現場でも緊急事態の想定や準備だけ医療スタッフで共有しようとすると、どうしても「そんなんゆうてもそんな事態は起こらないだろう…」という気持ちで準備や練習をしてしまう人が出てきてしまいます。すると実際有事になってから準備不足が判明したり、結局練習の経験が身についておらず動けないという非常に残念な結果になることがあります。
このようなことが起こらないように、緊急事態の想定や準備をするときには、必ずどれだけその緊急事態が起こり得るのか、どれだけ今はまずい状況なのかも正確に医療スタッフ全体に伝えることが非常に重要です。
こうする事で正常性バイアスを打ち消し、準備も入念に練習も本気で行うことができ、本当の緊急時に素晴らしい連携を取ることが出来ます。
最後に 全員が同じ方向を向いている組織は宗教 ゴールが一緒なら問題ないしその方が健全
急性骨髄性白血病のともりんは、今は少し小康状態のようですが・・・、真心先生と同等かそれ以上に兄・英樹先生が本気モードになってきているあたり、今後マズイことが起きそうなフラグが立っている気がしますね。。。
センター長であり真心先生の父である吾郎先生のセリフも沁みました。
「考え方が違っていても、患者さんを救いたいという医師の心は全員同じ。一体感を持って仕事に集中しましょう」
いやほんとそう。いつも思うのですが、全員が同じ方向を向いて仕事している組織は宗教じみてちょっと怖いし、ある意味脆弱です。
色々な考え方の人がいて、でも目的が一緒だから協力できるし、その方が最終的に出力される力は大きくなるはずです。
個人的には真心先生みたいな患者にやさしく家族に寄り添うことが得意な医師だって素晴らしいし、人格的にはちょっとおかしかろうが手術は最高にうまい小児外科医だってカッコいいし、みんなそれぞれでいいよね!と思います。
すべでは、患者さんの病気を治したい、という目的がぶれてなければ大丈夫。
目的さえ共通していれば真心先生と英樹先生はしっかり協力できるはずです。そう信じています。
追記
プラタナスの実 1巻・2巻が発売になりました。小児科医療のリアルな現場を切り取った漫画だと思います。
色々な方が手に取って頂けたら嬉しいですね。